ツインレイ☆彡トリプルレイ☆彡       みっつにわかれたわたしたち         またひとつに戻る旅

ただただ自分をもっと知りたくて求めていたら、魂の記憶を思い出しはじめた頃にツインレイくんと出会い、同時期に神様への道も開いて人生が一変!! ツインレイくんとは、次から次へとふきだしてくる課題の数々にお手上げ!なのに、どこかはしっかりとつながっていて心で会話はするものの、もうなつかしい思い出のようになっていた。 そんなときあらわれたのは、なんとトリプルレイくん。 ツインレイくんと出会って23年目のことだった。

無償の愛 ( 最高の道である愛 )

 

 

ツインレイくんと出会ったことで
いままで自分が愛だと思っていたことが

どういうことなのかを
掘り下げてみることになってしまった



あるとき
敬虔なクリスチャンの上司が本を贈ってくれた


その本の表表紙には

自筆でサインとこんな言葉が添えられていた



愛は寛容であり、愛は情深い
また、ねたむことをしない

愛は高ぶらない
誇らない
不作法をしない
自分の利益を求めない
いらだたない
恨みをいだかない

不義を喜ばないで真理を喜ぶ

そして
すべてを忍び
すべてを信じ
すべてを望み
すべてを耐える




愛について 切実に知りたいと願ったときに

不意にもたらされたものは
想像を超えていた!


その驚きを言葉にすることができない



聖書のなかの言葉とのことだった

 

そして

それにはまだ続きがあった


わたしは特定の宗教は持たないし

聖書のこともよくわからない

 

それでも とても興味深かった

 


愛についての記述のあとは
まるで次元上昇について書いてあるように思った


それがどういうことなのかは

すべておわったそのときにわかるのだろう

それは、このような記述であった




      《 最高の道である愛 》


たとえ、人々の異言、天使たちの異言を語ろうとも、
愛がなければ、私は騒がしいどら、やかましいシンバル。


たとえ、預言する賜物を持ち、

あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、


たとえ、山を動かすほどの完全な信仰を持っていようとも、
愛がなければ、無に等しい。

全財産を貧しい人々のために使い尽くそうとも、

誇ろうとしてわが身を死に引き渡そうとも、

愛がなければ、わたしに何の益もない。


愛は寛容であり、愛は情深い。
また、ねたむことをしない。

愛は高ぶらない。誇らない。不作法をしない。
自分の利益を求めない。いらだたない。恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。

そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、
すべてを耐える。


愛は決して滅びない。
預言は廃れ、異言はやみ、知識は廃れよう、

わたしたちの知識は一部分、預言も一部分だから。
完全なものが来たときには、部分的なものは廃れよう。


幼子だったとき、わたしは幼子のように話し、幼子のように思い、

幼子のように考えていた。
成人した今、幼子のことを棄てた。


わたしたちは、今は、鏡におぼろに映ったものを見ている。
だがそのときには、鏡と顔とを合わせて見ることになる。
わたしは、今は一部しか知らなくとも、そのときには、

はっきり知られているようにはっきり知ることになる。


それゆえ、信仰と、希望と、愛

この三つは、いつまでも残る。

その中で最も大いなるものは 愛である。